韓国における市民参加型文化とファン研究への接続可能性―ジャーナリズムと社会運動を例に―(森類臣) (1)

韓国における市民参加型文化とファン研究への接続可能性―ジャーナリズムと社会運動を例に―[1](森類臣)

 

【導入】

共同体には様々な社会問題が生じるが、問題解決に向かって市民が積極的に参加する国―研究を始めた頃、これが韓国に対する筆者(森)の印象であった。筆者の研究は、なぜ韓国では政治社会的次元においてこのような積極性が生じるのか、市民参加はどのように展開してきたのかを具体的に解き明かしたいという気持ちから始まった。
韓国社会が持つ躍動性は、変化に乏しくある意味「安定的な」日本社会とは明らかに違う。この傾向は、1987年6月10日から始まった「6月民主抗争」、そしてその結果である1987年6月29日の「民主化宣言」(盧泰愚(ノテウ)民主正義党代表委員)に見られるように、市民による体制の大変革を呼び起こした。
一方、躍動性はマイナスの方向性を帯びることもある。韓国は現在「分断」状況に陥っている。言うまでもなく、朝鮮半島は現在南北に別れ「分断体制[1]」となっているが、これに加え国内の「分断」が進行しているのである。近年の韓国社会では、政治イデオロギー(保守と革新)と経済格差・階層・ジェンダーなどによって社会に様々な亀裂が走り、分裂と葛藤を引き起こしている。もう一つの「分断」と言ってもよいだろう。筆者はこのような韓国社会の力学を、ジャーナリズムと社会運動に注目して考察してきた。
韓国といえば、今や大衆文化(ポップカルチャー)をすぐに連想するようになった。ファン研究の分野でも、K-POPや韓国ドラマを中心に事例研究が積み重ねられている。しかし、本稿では、あえてポップカルチャーに焦点を当てず、「参加型文化」という視点からジャーナリズムと社会運動の事例を取り上げ、「ファン研究」との接続についてその可能性を考えてみたい。紙幅の関係で事例は二つに限られるが、いずれも市民が積極的に参加することによって韓国現代史の重要な局面を形作ってきた事例である。韓国型の参加型文化と言えよう。
 

【『ハンギョレ新聞』創刊運動と国民株】[2]

現在、創刊35年を迎えた『ハンギョレ新聞』は、進歩(日本でいうところの「革新」)派ジャーナリズムとして存在感を放っている。韓国の新聞界では『朝鮮日報』『東亜日報』『中央日報』の三紙がいわゆる「主流三紙」として発行部数が多い。この主流三紙は同時に保守派ジャーナリズムの牙城を形成している。三紙の論調が常に同じであるということではないが、主な社会的問題において論調が似ることも少なくない。対する進歩派ジャーナリズムとしては、『ハンギョレ新聞』『京郷新聞』が有名である。
『ハンギョレ新聞』は1988年5月15日に市民の力で創刊された。その創刊過程がドラマよりドラマチックだといえば言い過ぎだろうか。この新聞は市民による「国民株」(事実上の募金)によって創刊された。真実を追求する報道機関・言論機関の設立をもとめて、1年も経たないうちに少額株主約2万7000人が集まって50億ウォンを出資し新聞社を創刊した。このように世界的にも稀な(管見の限りほとんど唯一の)創刊過程を経て設立された新聞社である。「国民株」という名称は、多数の少額株主=国民が支えた新聞社であるということを踏まえてつけられた呼称である。
このように多数の少額株主が集まったのにはもちろん背景があった。ジャーナリズムと政治権力の熾烈な闘争という地下水脈と、主に1970年代から繰り広げられてきた「言論民主化運動」である。言論民主化運動の主人公の一つは、1970~1980年代前半に主流新聞社や放送局などから不当解雇された記者たちである。彼・彼女らは、所属新聞社・放送局内部で社内民主化闘争を繰り広げたが、「言論の自由」が抑制され統制された当時の社会では成就せず、社から解職された。解職後、在野に下った彼・彼女らは、主にマスメディアの民主化を目指した社会運動「言論民主化運動」を展開していくことになる。
運動のもう一つの主人公は、解職記者たちを応援し連帯していった市民たちである。この市民のリーダー的存在として著名なアクティビストや作家、学者、宗教家などがいたが、やはり言論民主化運動に連帯する市民層の分厚さは注目するに値する。もちろん学生運動の存在も大きかった。
なお、1970~1980年代の韓国民主化運動に対しては、韓国国外からの市民参加も存在していた。日本では「日韓連帯運動」が有名である[3]。ジャーナリズムの分野では、1974年の『東亜日報』白紙広告事件に際して、日本の市民が「東亜日報を支援する会」を勝手連的に結成し東亜日報社を応援したことが挙げられる[4]
 

【『オーマイニュース』の市民記者制度、第16代大統領選挙】

2000年2月には、インターネット新聞『オーマイニュース』が創刊された。現在はインターネット新聞の中でも老舗となった『オーマイニュース』は、創刊時から「開かれた進歩主義」を採用した。政治的立場を明確にした報道機関であったのである。「不偏不党」を謳う日本の報道機関とは大きく違う点だ。
2022年、『オーマイニュース』は、盧武鉉大統領当選に大きな影響力を持ったメディアとして有名となった。第16代大統領選挙が行われた2022年、新千年民主党から出馬した盧武鉉候補を支持する人々が『オーマイニュース』に集まり、様々な議論を展開した。その影響力はインターネット空間を言論活動の主たる場とする世代を中心に伝播していった。ここにはノサモ(「盧武鉉を愛する人々の集まり」の縮約系。盧武鉉ファンクラブ)の存在も大きい。結果的に盧武鉉は対抗馬の李会昌を破り大統領となった。この現象は当時韓国社会で非常に注目された。盧武鉉大統領は当選後の初インタビューの相手として大手新聞社ではなく『オーマイニュース』を選び、しかも単独インタビューに応じた。
『オーマイニュース』は、プロ記者による権力監視報道と市民記者制度のツートラック方式を他メディアに先駆けて実践した。特に、市民記者制度は既存の「報道」概念を打ち破った画期的な制度であった。ここには代表の呉連鎬(オヨンホ)の哲学が反映されていた。この哲学を筆者(森)なりにまとめると次のようになる。すなわち、記者は特権や国家資格を持つものしかできない職業ではなく、報道の意思を持つすべての人が報道する権利を持っている。にもかかわらず、実際は一部の新聞社・放送局に所属し職業的に記者をしている人たちが報道界を牛耳っている。この記者たちは、市民の「知る権利」に奉仕していないことも多く、「記者クラブ」によって情報源を独占し、利権を享受している者もおり、「言論権力」化して権勢をふるっている。今こそ、市民それぞれが「記者」となって「報道の自由」を実践し、それぞれがそれぞれの思いで共同体に資する報道ができるようにすべきだ―。
つまり、呉代表は、報道はプロの記者が占有する領域であるという既存の枠組みを打ち壊し、市民自治の原則に立ち返って、市民それぞれが直接参加する形態として記者概念を捉えなおしたのである。一つのパラダイムシフトと言えよう。このような思考の帰結が「市民記者制度」創出であった。
『オーマイニュース』が創刊されてからすでに約22年経過した現在では、市民記者制度は新しいものとは言えないだろう。なぜなら今は、インスタグラム・ツイッター・YouTubeなどによって、市民が現場から報道したり表現することが当然になっているからである。
しかし、2000年代初めという時点では「市民記者制度」はとても強い衝撃をもたらしたものであった。何よりも「市民記者制度」の背景にある哲学が、民主化を経たものの「民主化以降の民主主義」に悩んできた韓国市民に受け入れられたのである。呉代表は、市民記者制度を備えた『オーマイニュース』が短期間に成長した理由として、「準備された市民」が受け入れたのだと指摘した。
 

【ファン研究との接続】

以上、ここでは韓国における参加型文化の例を、ジャーナリズムと社会運動の分野から一部紹介した。さて、このような市民参加の動向はファン研究の視角からどのように考察できるのであろうか。手がかりを得るため、Transformative Works and Cultures(以下、TWC)でどのような先行研究があるのか見てみよう。筆者が調べたところ、次のように3つの論文が特に関連があった。
  • Melissa M. Brough,Sangita Shresthova, Fandom meets activism: Rethinking civic and political participation, Transformative Works and Cultures, Vol. 10 (2012)
  • Andreas Jungherr, The German federal election of 2009: The challenge of participatory cultures in political campaigns, Transformative Works and Cultures, Vol. 10 (2012)
  • Abigail De Kosnik, Participatory democracy and Hillary Clinton's marginalized fandom, Transformative Works and Cultures, Vol. 1 (2008)
このうち、筆者の目を引く論文は一つ目に挙げたMelissa M. BroughとSangita Shresthovaによるものであった。本サイトで提供されている日本語要旨を引用してみよう。
Fandom meets activism: Rethinking civic and political participation
<要旨>
ファン・アクティビズムは、文化的参加と政治的参加の交差点に位置する。ファン・アクティビズムの研究は、現代の集団行動をより広く理解することにつながる。我々は4つの重要な分析分野を提案する。それは、文化的参加と政治的参加の関係、ファン・アクティビズムの文脈における参加と抵抗の間の緊張、市民的動員と政治的動員におけるコンテンツ世界の影響と役割、ファン・アクティビズムの影響の評価である。メディア研究や社会運動文学など複数の分野にまたがる研究を利用して、これらのレンズを通じてファン・アクティビズムの分析を行うことで、現代の文化や集団行動の様式を理論化するための洞察を得ることができる。
論文の詳細は省くが、この論文の結論では次のように述べられている。
“The study of social movements, a body of work that has rarely been taken up in fan studies, can help us to think about visibility and the relationship between affect, cultural codes, and collective identities in the mobilization process.”
(中略)
“Finally, we challenged the shortcomings of conventional measures of civic and political participation and emphasized the need to situate impact studies of fan activism within a participatory framework more appropriate to the participatory cultures that support it.”
 
社会運動研究とファン研究を相互に参照しながら論じられることはここ最近増えているようである。筆者(森)が本稿で紹介した韓国の事例も、ファン研究の成果を援用して考察すれば、これまでとは違う新しい議論を展開できるかもしれない。
 
[1] 分断体制については白楽晴 (著), 鄭章淵・文京沫・朴一・李順愛 (訳) 『朝鮮半島統一論―揺らぐ分断体制』(クレイン、2001年)などを参照。
[2] 『ハンギョレ新聞』創刊や言論民主化運動の詳しい説明については、拙著『韓国ジャーナリズムと言論民主化運動―『ハンギョレ新聞』をめぐる歴史社会学』(日本経済評論社、2019年)を参照願いたい。
[3] 日韓連帯運動を考察した論稿・書籍は様々あるが、ここでは以下を紹介する。太田修「金大中拉致事件から始まった日韓連帯運動 ―植民地支配の歴史の問い直し―」『植民地主義、冷戦から考える日韓関係』(同志社コリア研究センター、2021年)、李美淑『「日韓連帯運動」の時代 1970-80年代のトランスナショナルな公共圏とメディア』(東京大学出版会、2018年)
[4] この支援活動を分析した論文としては、森類臣(2015)「日韓連帯運動の一断面―日本における東亜日報支援運動に関する考察―」『東アジア研究』17号がある。
ファン研究グループ