ネットミームとファン研究(平井智尚)

ネットミームとファン研究(平井智尚)

【導入】

本報告ではネットミーム(インターネット・ミーム)とファン研究の結びつきを検討する。ネットミームとは、デジタルメディアを通じて複製・模倣され、インターネットを介して流通・拡散するデジタル・オブジェクトである。それぞれの過程でオブジェクトは変容していくが、一定の共通性は保持される。例えば、Milnerは次のようにネットミームを定義している。「広大なネットワークや集団の中で無数の文化的参加者によって作成され、流通し、変容した言語的、画像的、音声的、映像的なテクストのことである。インターネットのミームは、Redditにおけるキャプション付きの写真、Twitterにおけるハッシュタグ付きのダジャレ、YouTubeにおけるマッシュアップされた動画などの形をとっている。それらは広く共有されているキャッチフレーズ、オートチューニングされた楽曲、操作されたストック写真、または物理的なパフォーマンスの記録などである。彼らは、ジョークを作るポイントを主張し、友人を接続するために使用されている」(Milner, 2016:1)。
 
ネットミームの議論は一見するとインターネット領域のテーマであるかのように映る。だが、「参加型文化」という概念を現代のネットワーク・メディア環境へと接続することを企図した「スプレッダブル・メディア論」(Jenkins, Ford and Green, 2013)においてネットミームへの言及が見られるように、ネットミームにかかわる一連の実践や、ネットミームと見なされるデジタル・オブジェクトは、かつてファン研究で扱われてきた対象と通じる面がある。こうした背景をふまえ、本報告ではネットミームとファン研究との接点を考える。ネットミームに見られる人々の関与は、これまでファン研究が扱ってきたメディア・コンテンツをめぐるファンの参加と類似している。また、「カエルのペペ(Pepe the Frog)」というネットミームを題材としたドキュメンタリー映画『フィールズ・グッド・マン』でも扱われているように、ネットミーム自体のファンやファンダムが存在する場合もある。
 
ネットミームとデジタル環境におけるファンおよびファンダムは密接に関係しており、それぞれが互いに寄与する面は少なくないと考える。そこで本報告では、ファン研究の中でネットミームに言及している論文を調査し、どのような文脈でネットミームへの言及が行われているかを確認していく。
 

参考文献

Jenkins, Henry, Ford, Sam and Green, Joshua(2013)Spreadable Media: Creating Value and Meaning in a Networked Culture, NYU Press.
Milner, Ryan M.(2016)The World Made Meme: Public Conversations and Participatory Media, The MIT Press.
 

【政治とファン、ファンダム、ミーム】

 

[題目]イントロダクション:ファンと反動/反動とファン

Stanfill, Mel(2019)Introduction: The Reactionary in the Fan and the Fan in the Reactionary, Television & New Media, SAGE.
[要旨]
本特集では、反動的な政治とファンダムの交わりを探求する。ファンダムは伝統的に進歩的であると考えられてきたが、それは限定的であり限界も見られる。さらに、政治とファンダムの関係についての考察は、特に民主化と新しいメディアによって実現された参加に焦点が当てられてきた。しかし、政治化の別の側面にも理解を広げることが重要である。こうした争点について、本イントロダクションでは、ファン研究の基礎、政治的ファンダムとファン的な政治についての考察、ならびに、ファンダムにおける不平等と対立についての認識の高まりという観点に目を向ける。こうした考察は、ファンダムにおける反動的な政治が顕著に高まり、反動的な政治がファン的な形態をまとっている時代において重要である。本特集では反動とファン的なものの交わりを明らかにしていく。
[本文:ファンダムは政治的である(政治はファン的である)]
ファンダムを(良くも悪くも)対抗的なものと位置づけることはファンダムを政治的なものと見なすことである。ある意味ではファンダムを政治的なものとして考えるのは日常的なことである。しかし、ファンダムをより広範な社会的・選挙的な政治と結びつけるのはあまり一般的ではない。政治を研究する人々は、ポピュラー文化を不真面目なものと扱い、政治に組み入れることを拒絶する。だが、Liesbet van Zoonen(2000, 6)は、ポピュラーな様式と伝統的な様式を「政治コミュニケーションと対立するものではなく、むしろ補完的な資源」と位置づけ、ポピュラーの有用性を擁護している。
われわれはファンダムと政治の関係を双方向に解釈することができる。一方では、政治的実践はファンダムのようなものである。つまり、van Zoonen(2004)が主張するように、ファンの実践は、民主主義の基礎として理解されている情報探索、討論、アクティビズムと構造的に同質なのである。政治ブロガー(Sandvoss 2013)から、バーニー・サンダースのミームを紹介するFacebookページ(Penney 2017)に至るまで、複数の研究者が政治の解釈フレームとしてファンダムを用いている。Jonathan Dean(2017、409)は、英国の左派政治の分析において「ファンダムは今や現代政治の特徴として確立した」と論じている。このような政治とファンダムをともに考える議論は双方の領域が参加型であることに根ざしている。特に、Sandvossのブログに関する研究、Deanの政治家に関連するハッシュタグやYouTubeチャンネルに関する考察、Jenkins(2006)の民主的な目的のためのフォトショップの利用に関する議論、Jason Wilson(2011)のTwitterにおける政治パロディに見る関与の形態に関する研究のように、新しいメディアによって非エリートがいかに政治意見を表明したり、コミュニティを構築したりできるかといった点に研究者は着目している。こうした研究は、Joel Penney(2017, 403)のように「形式的なものに拘束されず、自由な文化生産と流通の規範を受容する草の根のデジタルネットワークによってもたらされる新たな利益とリスクの現れ」への理解を深めることを主張している。
 
 

[題目]政治家のファンダム化

McMillin, Sabrina(2020)The Fandomization of Political Figures, Transformative Works and Cultures Vol. 32.
[要旨]
本論文では、2つのケーススタディを使用して、伝統的なファンダムの特徴を政治的・歴史的な人物に適用する方法を検討する。最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグを取り巻くノートリアスR. B. G.ファンダムと、20世紀半ばのジャーナリストで活動家のジェーン・ジェイコブスに敬意を表するフェイスブックのアーバニスト・ミームコミュニティである。これらのケーススタディは、2人がどのようにアイコンに変わっていくのかを示している。このようなファンダム化は、アイコンを微妙なニュアンスで捉え、具体的な行動や研究と組み合わせることで、市民教育の強化、強力な政治的連携、アクティビズムを触発する。
 

[題目]2016年米国大統領選挙におけるミームとポピュラーメディアの役割

Hunting, Kyra Osten(2020)The Role of Popular Media in 2016 US presidential Election Memes, Transformative Works and Cultures Vol. 32.
[要旨]
2016年の米国大統領選挙は、候補者の構築にソーシャルメディアが広範な役割を果たしたのが特徴である。あわせて、ミームを含むデジタル政治レトリックの形態が多様化し、進展したことも特徴として挙げられる。有名な娯楽メディア、特にスター・ウォーズやハリー・ポッターのような大きなファンダムを持つメディアを利用したポピュラー文化に基づく政治ミームのサブジャンルは、娯楽メディアにおけるジェンダー表象の不平等を明らかにするものであり、これらのメディアがミームの素材になったときにそうした表象も複製される。女性候補を称賛するために作られたポピュラー文化に基づくミームは、男性候補を取り上げたミームよりもポピュラー文化の語彙が限られているため不利な立場にある。この不均衡は、ポピュラー文化においてすでに存在する女性に対する否定的なステレオタイプがミームの中で展開され、しばしば女性政治家を監視するニュース・フレームに沿った形で展開されることでさらに進展する。ミームにおいて展開されるポピュラー文化の素材と、それらが既存の表象的不平等を複製する過程を検討することは、ミーム、ポピュラーメディア、ジェンダー・ステレオタイプの関係に対するわれわれの理解を向上させることにつながる。
[本文:イントロダクション]
[1.2]ファンが作成したミームやポピュラー文化のレファランスが政治的な言説の重要な部分を占めるようになり、そうしたイメージの活用は米国にとって重要な問題になっている。実際、候補者はそうした仕組みを利用している。ヒラリー・クリントンは2017年の著書『What Happened』で、ドナルド・トランプの支持者から自分に向けられた罵詈雑言を『ゲーム・オブ・スローンズ』のサーセイ・ラニスターへの嘲笑に例えている(McCluskey 2017)。トランプはアイオワ州のフェアで少年に自分はバットマンであると告げている(Cavna 2015)。
[1.3]ポピュラー文化のレファランスは伝統的なメディアや候補者の言説に織り込まれているが、今日インターネット・ミームほど流行っているものはないだろう。ミームは単一の画像であることが多い。それらは映画やテレビシリーズといった既存のポピュラー文化のテクストの簡略表現に依拠することが多い。Chmielewski(2016)はミームを「現代の選挙運動における共通語」と呼び、Ryan Milnerはミーム的なメディアを「大衆参加のための……共通語」(2018, 5)と表現している。しかし、ミームが言語として機能するのであれば、その語彙が利用可能な構成要素を考えることが重要である。
[1.4]昨今の選挙におけるソーシャルメディア、ミーム、さらにはファンダムの役割については十分な検討がなされている。だが、これらの言説がポピュラー文化の利用可能な言語によって制限されていることや、ポピュラーメディアにおけるジェンダー表象の問題が政治的言説における言語使用で複製されていることについての考察はまだ十分ではない。2016年の米国大統領候補に関するポピュラー文化中心のミームは、男性の描写についてはポピュラー文化のレファランスがかなり顕著であり、十分に利用可能な形で形成されていた。女性については利用可能なレファランス、特に肯定的なレファランスは限定的に形成されていた。ここでは、ドナルド・トランプ、バーニー・サンダース、ヒラリー・クリントンを描いたミームの種類をたどり、伝統的なポピュラー文化における女性の限定的描写が、ファンメイドやバイラルミーム的なテクストにどのような影響を与えたかという点について理解を深めることを目的とする。これらポピュラー文化のテクストにおける象徴的なキャラクターの間に存在する力学や、悪役の女性や男性化された女性といったお約束を通じて野心的な女性が規律化されていくというテクストの詳細な部分は、ミーム戦争において女性候補を不利な立場に置く。ミームはヴァナキュラー(Milner 2018)やジャンル(Wiggins and Bowers 2014)を論じることによる言語的な線引きに沿って理解されているが、ミームが一つのアーティキュレーション(節合)としてどのように機能するかは十分に明らかになっていない。ミームはファン文化、ならびに、ポピュラーな映画やテレビを利用している。それゆえ、この語彙の限界――つまり、ミームを目にした際に確認されるアーティキュレーション形成に用いられる言語を構成するコンポネントを理解することが肝要である。
 

[題目]視覚的間テクスト性理論:ミーム戦争を通じた政治コミュニケーションとビジュアル間テクスト性の考察

Gearhart, Sherice, Zhang, Bingbing, Perlmutter, David D., and Lazić, Gordana(2020)Visual Intertextuality Theory: Exploring Political Communication and Visual Intertextuality through Meme Wars, In Josephson, Sheree, Kelly, James, and Smith, Ken edited, Handbook of Visual Communication: Theory, Methods, and Media 2nd Edition, Routledge.
[要旨]
2010年代に「ミーム」は世界中で共通のデジタル表現方法となった。ミームはオンラインでの配布用に作成され、どこにでもある文化的生産物として多くの人に見られている(Segev, Nissenbaum, Stolero, & Shifman, 2015; cf. Huntington, 2015)。もともとミームとは、新しい視覚的/テクスト的なユニットを作るために言葉と画像を組み合わせることで示されるイメージに限定された用語で、オンラインの場に投稿される(あるいはテキストアプリやメッセージングアプリで直接共有される)のが一般的であった。多くの場合、有名な「I can haz cheesburger」という猫のミームのようにその意図はユーモラスなものである。ミームの作者は匿名または偽名であることが多く、テクストの作者はビジュアルのオリジナル作者とは違うことが一般的である。このテクストは、ニュース写真の中でデモ参加者が持っている看板の文字のようなイメージ内で自然発生する「サイネージ」とは対照的に、内部キャプションを構成している。しかし、本論の執筆段階では、「ミーム」という言葉は、コメントや注目を集めることを目的とした、あるいは何らかの説得力を持たせるために投稿されたインターネット上の多くの画像を指すものへと拡大している。
ミームは社会や文化についてコメントすることが多々あるが、この理論的考察ではとりわけ政治的ミームに焦点を当てる。その理由は、政治的ミームには一時的な狙いを上回る質を伴うためである。つまり、ユーモアにとどまらない反応を引き起こすために、人々はミームを利用する。あるいは、有名なオンラインの言い回しにあるように、見知らぬ人から「インターネット・ポイントを稼ごう」とする。さらに、ソーシャルメディアと政治の時代にあって、ミームは新しい政治的ブログとなり、たびたび衝突を伴う党派的な政治的主張が争われる場となった(cf. Perlmutter, 2008)。本章では、政治的ミームを、政府指導者、政治活動、その他の政治的/政治化されたトピックに言及し、ユーモラスな装いでメッセージを伝えることを意図したイメージやテクストの共生体と定義している。
本章では、視覚的間テクスト性と呼ぶ理論的レンズを用いて、まずミームを定義し、視覚的間テクスト性がこれまでの研究の多くの系統や系譜に依拠していることを指摘する。次に、ミームの視覚的間テクスト性を説明し、民主主義社会と非民主主義社会でミームがどのように使われてきたかを含め、現代の政治的言説におけるミームの役割について議論する。本章の結論部では、メディアの中で多文脈的・横断的なビジュアルを構成し、急速的に進化する現象を評価するための限界と将来起こりうる方向性について考察を加える。
 
 
 

[題目]ミーム、シーン、#ELXN2019s:政党支持者は選挙期間にどのようなミームを作成したのか

McKelvey, Fenwick, DeJong, Scott and Frenzel, Janna(2021)Memes, Scenes and #ELXN2019s: How Partisans Make Memes During Elections, New Media & Society, SAGE.
[要旨]
本論では、政治的アイデンティティと政党支持の結びつきを理解するために、党派的なユーザーが作成したFacebookページとグループを分析する。音楽研究にたびたび見られるシーンの概念を応用することで、Facebookページやグループは、主にミームの作成と共有による参加型の実践を通じてアイデンティティと感情を維持する党派的シーンと見なす。2019年のカナダ連邦選挙におけるソーシャルメディアのデータとインタビューを組み合わせた混合法のアプローチを用いて、これらの党派的シーンは、カナダの選挙と政治的情報サイクル全体の活発な部分であり、選挙サイクルを超えて存続することを明らかにする。Facebookユーザーは、様々な政治的所属の有権者を動かし、選挙結果に影響を与えるのではなく、ミームを利用して遊び、コミュニティを構築し、それによって党派性を強化する。
[本文:政治的アイデンティティの表明と参加型メディア]
こうしたプロフェッショナルなキャンペーンの新たな形態と並行して、政治的ファンダムが現代のオンライン政治キャンペーンのもう一つのポピュラーな勢力と見なされている(Hinck and Davisson, 2020; Lalancette and Raynauld, 2019; Street, 2004; Wilson, 2014)。政治家がトランプのようなセレブリティであるか、トルドーのようなセレブリティのように振る舞うのであれば、支持者はファンとして理解することができる。McMillin(2020)は、現代の政治家には、彼らの周りに大規模なオンライン・ファンダムを運営する洗練された支持者がいると論じている。これらのファンダムは、政治家に関するミームも含めて、さまざまなコンテンツを共有するオンライン上に存在するのが一般的である(Hinck and Davisson, 2020; Hunting, 2020; Kosnik, 2008)。ファンコミュニティは政治を個人化し、「コミュニティを通じてメッセージの流れを形成する非公式な当事者」となる(Jenkins et al., 2013:7)。プロフェッショナルな選挙キャンペーンは、こうしたインディペンデントのミーム生産者を育成し、そこからいくばくかの恩恵を受けようとする。
 

[題目]エディトリアル:ファンダムと論争

Williams, Rebecca and Bennett, Lucy(2022)Editorial: Fandom and Controversy, American Behavioral Scientist Vol. 66(8)1035–1043, SAGE.
[本文:ファンダム、論争、政治的モーメント]
ファンダム、論争、政治的モーメントの新たな重なりは、鍵となる政治家を表現するためのファン的な言語の使用に見られる。例えば、前英国労働党党首ジェレミー・コービンを支持する人々を指すコービニスタ(Dean, 2017; Hills, 2017; Sandvoss, 2017参照)、いわゆるミリファンダムにつながった前労働党党首エド・ミリバンドのファン(Hills, 2015; Sandvoss, 2015; Wahl-Jorgensen, 2019)、あるいはMaylleniallsと呼ばれる前英国首相テレサ・メイの若い女性ファンの出現(Smith, 2017)などがある。政治のセレブリティ化の進展は、バラク・オバマのスター性(Sandvoss, 2012)とドナルド・トランプの大統領選出(Negra, 2016参照)において頂点に達したと言えるだろう。元大統領の忠実な支持者を理解するためにファン研究のアプローチが採用され(Wahl-Jorgensen, 2019)、フォーラム、ソーシャルメディア、ミーム、ハッシュタグといったオンライン・ファンダムのツールは、様々な政治的視点やアジェンダを持つグループによって採用されてきた(Booth et al., 2018; Sandvoss, 2013)
(略)
Andrews(2020, p. 2)は、現在のモーメントを「デジタル・ディセンサス(不一致)」の一つと指摘し、「1980年代以降のリベラルなコンセンサスが崩壊し、インターネットやソーシャルメディアがノイジーな議論や過激派の声の場となった政治の現在」と表現している。このような流れの中で、Renee MiddlemostとRenee Barnesの論文は、FacebookグループのThe Simpsons Against the Liberals(オーストラリアの保守系与党)を事例として、政治的ミームの生成と流通におけるアンチファンダムの役割について探求している。彼らは、同コミュニティがリベラルに対するアンチファンダムとの結びつきを発見し、ミームの中で明らかになったリベラルの他者化を通じて、コンテンツの流用やリミックスの実践、感情投資、コミュニティの集合的アイデンティティ形成が育まれたと論じている。
 

【レースベンディングの政治】

 

[題目]交渉するファンダム:レースベンディングの政治

Jenkins, Henry(2017)Negotiating Fandom: The Politics of Racebending, In Click, Melissa A. and Scott, Suzanne edited, The Routledge Companion to Media Fandom 1st Edition, Routledge.
[要旨]
本章では、その「ギャップ」と、ファンがギャップを乗り越える活動(しているのか、していないのか)を探っていくことにする。私は以前から、ファンの文化的生産は魅了とフラストレーションの混合から生まれると主張してきた(Jenkins, 1992)。ファンがテクストと密接に関わるのは、彼らが魅了されているからである。そして、テクストを作り直し続けるのはオリジナルのある側面に不満を抱いているからである。ファンは密猟をするのである。彼らは自分が創作したわけではないテクストから欲しいものを手に入れる。そして、ファンは抵抗する。彼らはしばしば物語を書き換えて、物事が違った形で現れるようにする。しかし、ファンは自分たちが選んだわけではない条件でもテクストと関わる。このプロセスは、カルチュラル・スタディーズで言うところの「交渉」にとてもよく似ている。
[本文:再生産としてのレースベンディング]
ベネット(2015)が「レースベンディング」に言及したとき、彼女は別の定義を展開した。それは、黒人または混血のハーマイオニーを明示的に描いたファンアートを事例としながら彼女の作品を説明することである。近年、この種のレースベンディングは、ファンの文化的生産のジャンルとしてより広く浸透している。例えば、Tumblrサイト「Fuck Yeah, Racebending」では「ファンキャスティング」の例を集め、人気の映画やテレビシリーズをより多様なキャストで再考するコラージュや写真加工が行われている。このような実践は、アイデンティフィケーションのオルタナティブ空間を開くと同時に、ハリウッドのキャスティング手法に対する明確な批判を表し、過小評価や一時的な雇用でなければ役を演じることができたマイノリティの演者への合図を示す。ハリー・ポッターのファンダムには、ハリーを南アジア系の「デーシー」として再考するミームが長年存在する。
 

【ファン研究の将来】

 

[題目]ファン研究の将来:対談

Click, Melissa A., Gray, Jonathan, Mittel, Jason and Scott, Suzanne(2017)Futures of Fan Studies: A Conversation, In Click, Melissa A. and Scott, Suzanne edited, The Routledge Companion to Media Fandom 1st Edition, Routledge.
[要旨]
本コレクションのイントロダクションで述べたように、ファン研究は急速に発展し、多様化しつつある研究分野である。本コレクションは、形式と内容の両面において、ファン研究における典型的なトピック(アイデンティティ、テクノロジーと実践、産業)を調査する一方で、同領域の未発達な分野(方法、人種、異文化ファンダム)にも目を向けている。同じく、この結論部の対談では、本書の共同編集者であるメリッサ・A・クリックとスザンヌ・スコットは、メディア研究者のジョナサン・グレイとジェイソン・ミッテルとともに、同分野の中核的な関心事を再検討し、新たな方向性を探る。
[本文]
ここ数年、特にブレグジットやトランプ主義のような反動的なナショナリストの動きが多分に目に付く。これらは、ゲーマーゲートや4chan、ならびに、ファンダムに類似した各種のオルトライトのオンラインフォーラムのようなファン文化や実践をルーツとし、強い思い入れを持っている。こうした事実にファン学者はどのように向き合っているのか?初期ファン研究の多くが退けようとしていた病的なファンダムという概念を蘇らせる必要があるのか。そして、こうした破壊的な力に対抗する方法について、ファンダムは何かを教えてくれるのか?
(略)
Jason Mittell:したがって、ファンダムの一般的な対象の多くは、政治的にはかなりリベラルである。だが、ファンコミュニティを形成する実践は左派では実行しにくいように思う。ゲーマーゲートや右派のミーム文化のように、分断を助長し敵を攻撃するために右派がファン的実践を取り入れている。このことは、多くのファン文化やその対象に宿る寛大かつ集合的精神に反しているように見える。それでも、このモードはかなり「適切」であると感じられる。左派がファン的な空間と実践を利用してきた罵倒的なトロールからそれらをどのように取り戻すことができるのか。私にはまったくわからないし、それを信じることもできない。これは今後のファン研究者にとっての課題の一つだろう。
 

【ファン運動】

 

[題目]ファン動員のための対抗的な公共空間としてのTumblr

Chew, Natalie(2018)Tumblr as Counterpublic Space for Fan Mobilization, Transformative Works and Cultures Vol. 27.
[要旨]
テレビアニメ「ヤング・ジャスティス」(2010年~)と「グリーン・ランタン」(2011年~13年)のアニメシリーズが打ち切られた際、両番組のファンがいっしょに番組延長を求める運動を行った。同キャンペーンを「#saveYJandGLTAS」と呼び、このハッシュタグはキャンペーンに関連するインターネット上の投稿で頻繁に使用された。本ケーススタディでは、運動における対抗的な公共空間としてTumblrがいかに機能したか、ならびに、他のソーシャルメディア・プラットフォームがキャンペーンの強力な対外的な顔としていかに機能したかを調査する。分析を通して、ファンダムの運営の仕方と、メディア産業、クリエイター、消費者の関係の結果として生じる変化について結論を導く。
[本文:イントロダクション]
[1.2]ヤング・ジャスティスは、DCコミックのスーパーヒーロー(バットマンやアクアマンなど)の相棒(ロビンやアクアラッドなど)が、犯罪撲滅のために独自のチームを結成する様子を描いたアニメ番組である。グリーン・ランタンのアニメシリーズは、グリーン・ランタン軍団に所属し、銀河間の問題を解決するヒーローのチームについて描かれている。両番組はすぐに独自のファンダムを獲得した。これらのアニメは一つのテーマのもとで番組は連続して放送され、どちらもDCコミックのスーパーヒーローを題材にしていたように重複する部分が多い。これらのファンダムは、総じて番組の楽しみを高め、人間関係を形成する場を提供した。それによって、カートゥーン・ネットワークや私が「#saveYJandGLTAS」と呼ぶ番組復活キャンペーンに関する情報を得るうえで、ファンが利用可能なオンラインコミュニティを作り、維持することができた。多くのインタビュー回答者が答えてくれたように、どちらのファンダムも多くのファンにとって家族のような存在であり、今日まで続いている友情もある。あるインタビューに答えてくれた人はこう語ってくれた。「仲間意識、コミュニティや家族のような感覚も楽しめた。このおかげで、私は自分の社会的なサークルを予想以上に広げることができた。これはたいしたことではないが本当にそうなのである。番組とファンダムがその後の私の人生を変えた」。また、GLTASファンダムについて「これほど優れたファンダムに参加したことはない」、「このような魔法が再び自分に起こるかどうかわからない」と述べた人もいた。ファンは、メタ分析、理論、予測に協力し、ジョークやミームを共有し、ファン作品を作り、新しいコンテンツやネットワークの決定に対する感情的な反応を一緒に表現した。こうしたことは私自身、主にTumblrを通じて経験した。
[1.3]Tumblrは緩やかに組織されたグループやサブカルチャーの形成、ならびに研究にとって優れたプラットフォームである。Tumblrのリブログ機能は、情報、ミーム、ゴシップ、分析、その他にもファンが作成し発信するあらゆるものの増幅を促し、他のTumblrユーザーが簡単かつ迅速に閲覧し、取り入れることができるようにする。タグ機能は、ユーザーが人気のあるタグ(ファンダムのタグ、フェミニズムや社会運動の名前といった社会正義のタグ)に投稿し、そこに連なる投稿を読み、フォローし、その結果、そのタグに集まることができるような仕組みになっている。リブログは、Tumblrのユーザーがボタンをクリックするだけで、誰かが言ったことをそのままの形で、言葉の繰り返しや手間のかかるテキストの再コピーを必要とせずに共有することができる。その際、投稿はTumblrのフォロワー全員が見ることができ、フォロワーは同じように投稿を簡単にリブログし、自分自身のコメントを加えたり、さらに一歩進んで他のTumblrユーザーをフォローしたり、コミュニケーションを取ったりして、プラットフォーム全体でつながりやグループを形成することができる。こうして、ミームの伝達が容易になり、同じような関心事について広大な距離を越えたコミュニケーションが容易になった(Cho 2015)。
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