ファン研究と精神分析(渡部宏樹)

ファン研究と精神分析(渡部宏樹)

【導入】

映画、アニメ、漫画などの登場人物に熱狂するファンたちは、イメージと感情的な関係を結んでいる。映画研究においては、観客が映画内の登場人物のイメージとどのように同一化(identification)しどのように関係を結ぶかが議論されてきており、1960年代精神分析が導入され主体とイメージの関係が理論化されてきた。代表的な議論としてはローラ・マルヴィの「男性のまなざし(male gaze)」などが挙げられ、この研究は1970年代以降のフェミニズム映画理論に大きく寄与した。
 
ファン研究は映画という特定のメディウムに縛られたものではなくアニメ、漫画、ドラマ、舞台劇などさまざまなメディア上での文化現象にまたがるものである。しかし、何らかの形でフィクションのキャラクーと関係を持っているからこそ熱狂的なファンになるのである。だとするならば、ファン研究における主体(ファン)とイメージ(フィクションのキャラクター)との間には複雑な関係が発生している。したがって、精神分析を援用してファン研究を理論化する余地はあるだろう。例えば、フィクションのキャラクターになりきるコスプレを理解するためには、コスプレイヤーとコスプレイヤーが選ぶフィクションのキャラクターの間にはどのような関係のメカニズムが生じているのかを考えるにあたり、精神分析は有用であろう。
 
では、ファン研究において精神分析はどのように援用されているだろうか?Transformative Works and Culturesに掲載されている論文を参照して、ファン研究における精神分析の受容の動向を確認しよう。
 

【概観】

「Psychoanalysis(精神分析)」でTransformative Works and Culturesの論文を検索すると、 31件の検索結果が出現する。これらの論文を一つ一つ確認すると、各論文の中で1回か2回しか「psychoanalysis」という語は出現せず、それらは多くの場合、ファン研究における重要なテクストが参考文献に挙げられることによるものである。そのテクストとはConstance Penley. 'Feminism, Psychoanalysis, and Popular Culture'. In Cultural Studies. Ed. Grossberg et all. New York: Routledge, 1992.である。ヘンリー・ジェンキンズの『テクストの密猟者』(1992年)やCamille Bacon-SmithのEnterprising Women: Television Fandom and the Creation of Popular Myth(1991年)といった、ファン研究の第一波を形作ったとされる古典である。
 
さて、この31件の検索結果を見てもう一点気づくことととしては、英国系の精神分析が参照されていることだ。メラニー・クラインの対象関係論やドナルド・ウィニコットの移行対象といった議論が頻繁に参照され、ファンの分析に利用されている。前述の映画研究における精神分析の受容がほぼ前期ラカンに依拠していることを考えると、この英国系の精神分析への偏重(に映画研究者には見える現象)は興味深い。
 
日本語話者にとってはBL(ボーイズラブ)を特集した第12号のエディトリアルにおいて精神分析への言及が多いことも目に入る。Kazumi Nagaike and Katsuhiko Suganuma, “Transnational boys’ love fan studies,” vol. 12 , 2013.(https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/504/394)は、BL
を語る文脈の中で精神分析的アプローチが行われてきたことを歴史的に概観している。
 
個別の論文としてはKate Ellen Roddy, “Masochist or machiavel?: Reading Harley Quinn in canon and fanon,” vol. 8, 2011.が、かなり具体的に精神分析を取り上げている。同論文では、マゾヒズムの分析に精神分析を援用している。
 

[題目]マゾヒストかマチガイか:正典とファノンでハーレイ・クインを読み解く

[要旨]DCコミックスのキャラクター、ハーレイ・クイン(Harley Quinn)が、時にはジョーカー(Joker)の恋人やアシスタントであり、女性ファンの間で人気があるが、このキャラクターへの創造的な反応について考察する。様々なメディア(ファン・フィクション、短編映画、コミック)からの事例を用いて、キャラクターの従順さという特徴がどのように読まれ、(再)構築されるかを観察する。まず、服従的な女性のアンチフェミニズム的な可能性と、医学的・心理分析的な言説におけるマゾヒズムの描写を認めたうえで、続いて、ファンがハーレイ(Harley)のキャラクターを使って性的服従というネガティブなステレオタイプを克服する方法を探っていく。ファン作品は、ユングの「シャドウ・セルフ」の概念や、現実のBDSMの実践と哲学に精通している証拠を示していることを紹介する。中心的なテーマは、我々がマゾヒストを潜在的にマキャベリ的、すなわち創造的で操作的なものとして理解できることである。ファン・フィクションはポストモダニズムのあいまいな主観性への関心を反映し、キャラクター構築の責任を作り手から読み手へと移す戦略を採用している。
 

【人種変更(レースベンディング)】

上述の通り、コスプレといったファン文化の理解にどのように精神分析が援用されているかという問題意識から、Transformative Works and Cultures掲載論文を見始めたが、コスプレと人種の問題がつよく結びついていることがわかったので、以下何本か論文を紹介する。
 

[題目](ディス)プレイについて:大きく外れた抵抗と人種ベンディング的な超人コスプレ

Ellen Kirkpatrick, “On [dis]play: Outlier resistance and the matter of racebending superhero cosplay,” vol. 29, 2019は作品自体は愛好するがその作品の中に人種的偏見があるときに、それに対する応答としてのレースベンディング・コスプレを議論する。レースベンディングとは直訳すれば「人種を変更すること」だが、例えば白人のキャラクターを黒人のキャラクターとして演じ直すというような改変のことを指す。もともとブラックフェイスなどのマイノリティーの役をマジョリティーが奪い取ることを批判する用語だが、白人のキャラクターを黒人が黒人として演じる行為などをも意味するようになった。
[要旨]西洋の主流のスーパーヒーロージャンルにおけるマイノリティ表現に対するマイノリティファンの反応を考慮すると、このジャンル内において、紙の刊行物やスクリーンの内外でのマイノリティ表象は悪名高いほど問題含みであることが明らかになった。しかしながら、マイノリティの欠如、排除、継続的な敵意にもかかわらず、このジャンルはマイノリティのファンや観客に人気がある。しかしながら、有色人種のファンが、愛されているがしばしば有害なジャンルを生き生きと有意義なものに保つにはどうすればよいのだろうか?このエッセイは、排除され悪意を向けられているスーパーヒーローファンによって採用された抵抗的で越境的な意味形成戦略を再考することにより、この問題を考察する。エスノフューチャリズムとアフロフューチャリズムのレンズを通して、人種変更を伴うコスプレを解き明かす。これは、より広範でアクティヴィスト的な人種変更の伝統に根ざした、もともとのキャラクターの確定した人種とエスニシティを作り直す、具体化されたコスチュームの実践である。このエッセイは、抵抗の際立った批判的な側面としての生きた経験にスポットライトを当てつつ、主流の西洋のスーパーヒーロー文化の白さに批判的な目を向けさせ、混乱させることによって、人種変更を行うコスプレイヤーがいかに強力な抵抗を行うかを明らかにするものである。
 

[題目]「そうだ、悪の女王はラテン系だ!」:ネット上のフェムスラッシュ・ファンダムの人種的ダイナミズム

Rukmini Pande and Swati Moitra, ”’Yes, the Evil Queen is Latina!’: Racial dynamics of online femslash fandoms,” vol. 24, 2017.は、テレビシリーズ『Once Upon a Time』に出てくる通称スワン・クイーンと呼ばれる女性のカップリングのサブテクストを議論する。スワン・クイーンはクィアではあるが人種描写の点で問題があり、このようなテクストにファンダムが向き合うときに、どのような交渉や改変が行われるかを議論する。
[要旨]オンラインメディアや参加型ファンダムは、女性にとってユニークな創造的・コミュニケーション的空間であると長い間理論化されてきた。さらに、学術的な研究によって、変形的作品と参加者のアイデンティティの両方を通じて、クィアさを明確にすることを助長する空間として機能する可能性が強調されている。しかし、この理論化は、これらの空間が人種とレイシズムの問題を扱うことを余儀なくされたときの差異的な運用を説明することができないでいた。このエッセイでは、ファン的な空間は、その機能を支える複数の特権の場所と交差する懸念と交渉せざるを得ないため、これが重大な盲点であると論じている。したがって、歴史的にクィアでありながら、しばしば脇役にされてきたフェムスラッシュ・ファンダムのファン的空間に注意を向けさせ、同じ研究への重要な介入を提案するものである。この分析では、テレビ番組「ワンス・アポン・ア・タイム」(2011年~)におけるレジーナ・ミルズとスワン・クイーンの愛称で知られるエマ・スワンとの関係を中心に構築されたクィア・ファンコミュニティに焦点を当て、こうしたクィア・スペースが大衆文化テクストやオンライン空間における女性嫌悪や同性愛嫌悪への批判、さらにはそうした空間における人種やレイシャル・アイデンティティに対する取り組み方を位置づけることを目指す。
 

[題目]マレーシアのコスプレにおける自己認識

Eriko Yamato, “Self-identification in Malaysian cosplay,” vol. 34, 2020.は、インタビューに基づいて、マレーシアにおけるコスプレの現場を検討したものである。特に、ヒジャブコスプレをイスラームの規範の中に止まりながら自己表現をする活動として議論している点が、欧米における人種の問題とは異なるコスプレと人種の関係の現れ方として興味深い。
[要旨]非日本人コスプレイヤーが演じるコスプレ(コスチュームプレイ)を調べるために、マレーシアの5つの日本のポピュラー文化大会でビデオインタビューを行った。158人のコスプレイヤーによる説明を分析すると、コスプレは自分のアイデンティティを認識するプロセスの媒体として機能することが明らかになった。コスプレにより、マレーシア人は集団的アイデンティティではなく個人のアイデンティティを探求し、架空の人物を現実の世界に変換する際の自己認識における流動性とジレンマを経験することができる。こうしたコスプレでは民族性が優勢ではないようであるが、完全に消えたわけではないようである。
 
ファン研究グループ