ファン研究と人びとのlifeとの交差(杉山怜美)

ファン研究と人びとのlifeとの交差(杉山怜美)

【自身の研究紹介・導入】

話題提供にあたって、まず簡単に研究テーマについて説明したい。報告者が特に関心を抱いているのは、何かのファンを長期間にわたって継続するという実践である。
 
人びとが何かのファンとして、人生のある期間、とりわけ若年の時期に一時的な熱中を経験することは、近年では珍しくないどころか当たり前のことになった。しかし、そうしたファンたちはやがてそこから離れて懐かしむようになったり、他の対象に関心を移行させたりするものだという認識は根強いように思われる。
 
しかし、報告者がインタビュー調査を行ってきた、小説、マンガ、アニメなどのファンの中には、長いこと特定の対象への関心を持ち続ける人びともいて、彼らの生活や人生と、ファンであることは分かちがたく結びついていた。このように、ファン現象の継続的な側面に光を当ててその実態や背景を明らかにすることが、報告者の主要な研究テーマである。
 
 
こうした関心に基づく研究は日本ではまだまだ少ないのが現状だが、今回の話題提供では、Transformative Works and Cultures(以下、TWC)に掲載された論文を参照して、海外での研究動向を概観したい。
 

【概観】

まず、TWCのタイトルと要旨、キーワードを対象にして「long-term(長期的)」で検索したところ、ヒットしたのはHarrington, C. Lee, “Autobiographical reasoning in long-term fandom,” vol. 5 , 2010.(https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/209)のみであった。
 

[題目] 長期的ファンダムにおける自伝的合理化

[要旨]我々は、ファンによる体験が、ファンのより大きな人生の物語に位置づけられるようになる社会心理的プロセスを探求する。米国の長期的なソープオペラファンを対象としたオリジナルの調査データを用いて、自伝的推論という心理的メカニズムが、ファンの自己語りの構築においてどのように機能するかを、時間の経過とともに検証している。ここで紹介するケーススタディは、ファンの活動、アイデンティティ、解釈能力の年齢関連構造に関するより大きな調査の一部である。老年学(ライフスパン/ライフコース)理論と現代ファン研究の交差点に位置する私たちのプロジェクトは、比較的未調査の理論領域を掘り起こすものである。最後に、今後のファン研究への示唆について簡単に考察する(下線は報告者による)。
 
この論文では、長期的ファンダム(long-term fandom)のファンの人生(life)の物語への位置づけが問われており、両者を結びつけるにあたって老年学やライフスパン、ライフコースなどの視点をファン研究に導入している点が特徴的である。
 
他にも類似のテーマで書かれた論文がないか、上述の要旨からもファンの長期化と関連があると想定できる、(proliferationやreal-life以外の用法で)lifeが含まれるタイトル、要旨、キーワードを検索したところ、Book reviewの2件を除く23件の論文がヒットした。
 
これらの用法を確認すると、ごく一部で生命の意味で使用されている場合もあったが、主にlife が持つ2つの意味合いとファンの関係が問われていることが読み取れた。1つは、先に挙げた論文と同様に人生としてのlifeに焦点化したもので、もう1つはeveryday lifeやdaily life、family lifeのように生活としてのlifeに注目したものだ。前者が7件に対して後者は11件で、生活としてのlifeを扱った論文のほうが数としては多いが、人生としてのlifeとファンに着目する視点も一定程度ファン研究の中で存在してきたことがうかがえる。
 

【人生/生活としてのlifeとファン】

以上で概観してきたように、報告者の関心に近い人生としてのlifeを扱った論文の中からいくつか紹介することを通して、このテーマで何が重要な概念とみなされているのかを抽出していきたい。
 
まず、Petersen, Line Nybro, “’The florals’: Female fans over 50 in the ‘Sherlock’ fandom,” vol. 23 , 2017.(https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/956)では、加齢とファンというテーマを主観的年齢という概念に焦点化して追究している。
 
加齢というテーマはファンを若者文化とみなす見方を相対化するうえでも重要になる。
 

[題目] 「フローラル」:『シャーロック』ファンダムの50歳以上の女性ファン

[要旨]本稿では、BBCの人気ドラマ『シャーロック』(2010年~)の50歳以上のファンであることの意味を探るために、9人の女性ファンへのメールインタビューを行った。本研究は、晩年におけるファンダムの役割、特に本研究の参加者がライフコースのこの部分においてファンであることに関連する主観的な年齢の認識をどのように交渉しているかをよりよく理解することを目的としている。本研究では、文化的老年学の理論をファン研究およびメディア化理論と組み合わせることで、ファンの主観的年齢の交渉を導く力学とプロセス、およびこれらのプロセスにおけるファン実践とソーシャルメディアのアフォーダンスの役割を理解することを目的としている。私は、メディア化された文化の現れとしてのファンダムが、主観的年齢の関連性を増大させ、中年以降の参加者が、若者文化としてのファンダム、女性の情熱、創造性などに関連して、特に自分自身の主観的年齢を認識し交渉する方法に情報を提供すると主張する。
 
同じく加齢を扱った論文として、Lavin, Maud, ”Patti Smith: Aging, fandom, and libido,” vol. 20 , 2015.(https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/658)があるが、こちらは研究者自身を記述の対象にしており、オートエスノグラフィーの手法が採用されている。
 

[題目] パティ・スミス:加齢、ファンダム、リビドー

[要旨]このエッセイは、高齢化、女性性、リビドーの問題に照らして、パティ・スミス(Patti Smith)の生涯にわたるファンダムを辿るものである。また、欧米のマスカルチャーにおける変容するイメージの少なさと高齢女性のファンダムについても考察した。個人的な語りが持ち込まれ、ライフサイクルを通じてのファンの経験が参照され、ジェンダーの問題が強調される。
 
オートエスノグラフィーという手法は、Stever, Gayle S., “Fan studies in psychology: A road less traveled,” vol. 30 , 2019.(https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/1641)でも用いられているが、こちらでは研究者自身の半生を特定のファンとして描くのではなく、様々なファングループに関心を持ち続けたものとして記述している。
 

[題目] 心理学におけるファン研究:道なき道

[要旨]この論文では、1988年から2018年にかけてのファンカルチャーに関するさまざまな研究で使用された方法と資料について説明している。混合的な方法やマルチパースペクティヴのアプローチを記述し、ファングループが選ばれて研究されたプロセスを説明している。本論文では、自分がすでに参加しているファングループを研究する学者「アカファン」という概念とは対照的に、私がまだ関わっていなかった多くのファングループの関心について説明している。私は北米とヨーロッパを旅して、ライフスパンのいろいろなところで起こる、さまざまな文化にまたがるファンの行動を観察した。ポップスターミュージシャンのファンとテレビファンの両方が含まれていた。いずれの場合も、ファンカルチャーに没入することが目標であり、各研究は4年から12年まで続いた。
 
このように、人生としてのlifeを扱ううえで加齢や高齢化というテーマは重要であり、研究にあたっては質問紙調査やインタビュー調査のほかにオートエスノグラフィーもまた有効な手法として採用されていた。
 
さらに、要旨のレベルでは各論文で人生と生活のどちらの意味でlifeが用いられているか分類可能なものとして扱ったが、実際にはlifeの複数の側面に言及する論文も存在した。たとえば、Halbert, Debora J., “The labor of creativity: Women's work, quilting, and the uncommodified life,” vol. 3 , 2009.(https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/41)がそれにあたる。
 

[題目] クリエイティブの労働:女性の仕事、キルティング、そして非コモディティ化された生活

[要旨]キルティングは、伝統に富んだ創作活動の分野であり、キルト制作者の共有、新たな国家の一部への移動、独自のデザインの開発など、アイディアやインスピレーションがどのようにキルト制作者の間を流れているかを示すものである。商業的なパターンには著作権があるが、キルトは一般に著作権法の探知網をかいくぐって存在してきた。これは主に、キルトが贈与経済の中で交換されることが多いためである。しかし、キルティングが大きなビジネスとなり、パターンやパターン本がキルティング文化の中心に位置づけられるようになるにつれて、著作権保護に関する問題が浮上する。本稿では、オンラインのアンケートに回答したキルト作家が理解する、著作権法、イノベーション、シェアリングの関係について調査した。調査参加者は、キルティングは創造的な活動であり、著作権の役割は、キルト制作者の行動を制限する場合を除いて、非常に小さいと感じている。この調査から、回答者はキルティングを自分自身や家族、コミュニティとのつながりを生み出すものとして捉えていることが示唆される。つまり、彼らの創造的な作品は、売りたい商品ではなく、共有したい贈り物なのだ。
 
分析では調査参加者にとってキルトが生活の一部になっていることが指摘される一方で、キルト制作が人生に与えた影響についての語りも引用されている。日本(語)で関連するテーマを扱う際には、lifeが持つ複数の側面を意識的に分析に入れ込む必要性があるといえよう。
 
最後に余談だが、TWCでは日本では取り上げるのに躊躇するかもしれないトピック(例:男性妊娠を扱った二次創作、RPF(日本でいうナマモノ)など)を扱った論文が多数みられた。日本におけるファンと研究者の関係性や距離感に留意することは欠かせないが、論じるべき現象であるならば、どのような研究手順を踏めば可能になるか検討することも必要だと考えさせられた。
ファン研究グループ